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<tagline>AZUMA hiroki&apos;s blog.</tagline>
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<copyright>Copyright (c) 2011, AZZIE</copyright>
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<title>強震モニタ</title>
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<title>［京急ポニー号］時刻表</title>
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<summary type="text/plain">大船駅から桔梗山、中央公園から鎌倉市役所まで走る京急ポニー号。
大船駅で携帯電話からチェックできると便利だと思ったので時刻表を転載します。

【大船駅発桔梗山行き】
＜平日＞
6:40,48
7:09,24,33,43,52
8:09,13,30,34,49
9:10,40
10:09,45
11:10,35
12:00,25,50
13:15,40
14:05,32,55
15:21,45
16:10,40
17:00,20,35,50
18:00,10,25,45
19:00,15,30,45
20:00,15,30,45
21:00,20,45
22:10,40
23:03,25

＜休日＞
6:47
7:15,39
8:05,30,55
9:20,44
10:10,34
11:00,25,51
12:15,40
13:05,30,55
14:20,45
15:10,35
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17:16,40
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19:20,45
20:12,35
21:00.30
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<![CDATA[<p>大船駅から桔梗山、中央公園から鎌倉市役所まで走る京急ポニー号。<br />
大船駅で携帯電話からチェックできると便利だと思ったので時刻表を転載します。</p>

<p>【大船駅発桔梗山行き】<br />
＜平日＞<br />
6:40,48<br />
7:09,24,33,43,52<br />
8:09,13,30,34,49<br />
9:10,40<br />
10:09,45<br />
11:10,35<br />
12:00,25,50<br />
13:15,40<br />
14:05,32,55<br />
15:21,45<br />
16:10,40<br />
17:00,20,35,50<br />
18:00,10,25,45<br />
19:00,15,30,45<br />
20:00,15,30,45<br />
21:00,20,45<br />
22:10,40<br />
23:03,25</p>

<p>＜休日＞<br />
6:47<br />
7:15,39<br />
8:05,30,55<br />
9:20,44<br />
10:10,34<br />
11:00,25,51<br />
12:15,40<br />
13:05,30,55<br />
14:20,45<br />
15:10,35<br />
16:00,25,50<br />
17:16,40<br />
18:05,30,55<br />
19:20,45<br />
20:12,35<br />
21:00.30<br />
22:20</p>]]>

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<title>コントリビューションと研究</title>
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<modified>2007-02-01T10:34:31Z</modified>
<issued>2007-02-01T09:47:53Z</issued>
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<created>2007-02-01T09:47:53Z</created>
<summary type="text/plain">東です。
本日、最終発表をしました。
お世話になった皆々様、本当にありがとうございました。

え？結果を知りたいですか？感想？
全然だめでした。見ていた人は分かるかと思いますがｗ
これは、関わっている研究がダメなのではなく、自分自身の問題です。

最後の方は完全にメダパニをかけられていましたね。
もう、お恥ずかしい限りです。

なぜ、ああなってしまったのか、簡単に説明したいと思います。

はじめ、中間発表と同じ「あの質問」には、真っ向戦うか、うまくかわす気でいました。
そのように心の中で落ち着けて、ある意味でたかをくくって臨んでいたのです。

でも、とりあえずひやひやもののプレゼンテーションが終わって一息ついたあたりに頂いた
「あの質問」は、やはり私の理性ではなく、感性にうったえてくるものでした。
実際に出された意図としては、きわめて科学的な、というか、クールなものだったのかもしれないのです。
ですから、私自身のトラウマが災いしたといってもいいかもしれません。

『東君のコントリビューションは何ですか？』

私は、それは人生のテーマであって、研究発表の質問ではないと思っています。
私は、その答を明確に言ってのける人間を、傲慢なものとして少なからず否定的に見てしまうかも知れません。
私は、なにしろずーっとそれに悩まされて生きてきたのです。

「私には何ができるのか−それは誰のためになるのか」

就職活動で自己分析をすれば誰もが通る道でしょう。
そのあとは、誰もがそれに一応の答を出して生きている。
それは、その人の生きる自信であり、アイデンティティの形成に根幹的な意味合いを帯びている。

私には、それができませんでした。
自分には何もできない。
と、思うことの方がそれまでの人生に於いて多かったからです。

『だって、まわりのひとのほうがすごいんだもの。』（←これすら、まぁ、見る人によっては、いろんな意味で詭弁ですね）

でも同時に、劣等感の固まりのような自分に、ある一定の自信を持たせる考え方があります。

「たしかに、何かすごい一つができるわけではない。それでも、何もできないわけではない。」

そうやってアクションを起こすことでしか、そのような気分は解消できない、そう思ってがんばったつもりでした。
それでも、「やったこと」を全て述べたプレゼンの後で「一体それの何が意味あるの」と突きつけられると、
もう崩壊するしかありませんでした。これは自分の弱さです。脆さです。自分はまだ、幼いのです。

悔しいですが、これが今の私の現状です。

少なくとも、ああやって、いいわけがましく弁明したり、ひがみっぽく理屈を述べるのではなく、
本当に思っていることを熱くぶつければ良かった。

「私がいなかったら動かないプロジェクトをやっている自分にとって、コントリビューションは、全てです。もしそうでないものがコントリビューションであるならば、何もない、で良いです。」

いつも、ほんとうに伝えたかった答えは、時が去った後に思いつく。そういえば、熱くて、かっこよくて、ロックな自分が、好きだった。少し泣いた。</summary>
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<![CDATA[<p>東です。<br />
本日、最終発表をしました。<br />
お世話になった皆々様、本当にありがとうございました。</p>

<p>え？結果を知りたいですか？感想？<br />
全然だめでした。見ていた人は分かるかと思いますがｗ<br />
これは、関わっている研究がダメなのではなく、自分自身の問題です。</p>

<p>最後の方は完全にメダパニをかけられていましたね。<br />
もう、お恥ずかしい限りです。</p>

<p>なぜ、ああなってしまったのか、簡単に説明したいと思います。</p>

<p>はじめ、中間発表と同じ「あの質問」には、真っ向戦うか、うまくかわす気でいました。<br />
そのように心の中で落ち着けて、ある意味でたかをくくって臨んでいたのです。</p>

<p>でも、とりあえずひやひやもののプレゼンテーションが終わって一息ついたあたりに頂いた<br />
「あの質問」は、やはり私の理性ではなく、感性にうったえてくるものでした。<br />
実際に出された意図としては、きわめて科学的な、というか、クールなものだったのかもしれないのです。<br />
ですから、私自身のトラウマが災いしたといってもいいかもしれません。</p>

<p>『東君のコントリビューションは何ですか？』</p>

<p>私は、それは人生のテーマであって、研究発表の質問ではないと思っています。<br />
私は、その答を明確に言ってのける人間を、傲慢なものとして少なからず否定的に見てしまうかも知れません。<br />
私は、なにしろずーっとそれに悩まされて生きてきたのです。</p>

<p>「私には何ができるのか−それは誰のためになるのか」</p>

<p>就職活動で自己分析をすれば誰もが通る道でしょう。<br />
そのあとは、誰もがそれに一応の答を出して生きている。<br />
それは、その人の生きる自信であり、アイデンティティの形成に根幹的な意味合いを帯びている。</p>

<p>私には、それができませんでした。<br />
自分には何もできない。<br />
と、思うことの方がそれまでの人生に於いて多かったからです。</p>

<p>『だって、まわりのひとのほうがすごいんだもの。』（←これすら、まぁ、見る人によっては、いろんな意味で詭弁ですね）</p>

<p>でも同時に、劣等感の固まりのような自分に、ある一定の自信を持たせる考え方があります。</p>

<p>「たしかに、何かすごい一つができるわけではない。それでも、何もできないわけではない。」</p>

<p>そうやってアクションを起こすことでしか、そのような気分は解消できない、そう思ってがんばったつもりでした。<br />
それでも、「やったこと」を全て述べたプレゼンの後で「一体それの何が意味あるの」と突きつけられると、<br />
もう崩壊するしかありませんでした。これは自分の弱さです。脆さです。自分はまだ、幼いのです。</p>

<p>悔しいですが、これが今の私の現状です。</p>

<p>少なくとも、ああやって、いいわけがましく弁明したり、ひがみっぽく理屈を述べるのではなく、<br />
本当に思っていることを熱くぶつければ良かった。</p>

<p>「私がいなかったら動かないプロジェクトをやっている自分にとって、コントリビューションは、全てです。もしそうでないものがコントリビューションであるならば、何もない、で良いです。」</p>

<p>いつも、ほんとうに伝えたかった答えは、時が去った後に思いつく。</p>]]>
<![CDATA[<p>そういえば、熱くて、かっこよくて、ロックな自分が、好きだった。少し泣いた。</p>]]>
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<title>Mail.appが一瞬変に！</title>
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<modified>2006-12-28T15:26:28Z</modified>
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<summary type="text/plain">

Mailがailに！

Dictionary.appよりー
ail |āl| verb [ trans. ] trouble or afflict (someone) in mind or body : exercise is good for whatever ails you. ORIGIN Old English eglian, eglan, from egle [troublesome,] of Germanic origin; related to Gothic agls ‘disgraceful.’</summary>
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<![CDATA[<p><img alt="ail.png" src="http://azzie.jp/ail.png" width="425" height="303" /></p>

<p>Mailがailに！</p>

<p>Dictionary.appよりー<br />
ail |āl| verb [ trans. ] trouble or afflict (someone) in mind or body : exercise is good for whatever ails you. ORIGIN Old English eglian, eglan, from egle [troublesome,] of Germanic origin; related to Gothic agls ‘disgraceful.’</p>]]>

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<title>【F903i report】How did I love this forma!ーこのケータイの形態が好！</title>
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<modified>2007-01-05T12:07:13Z</modified>
<issued>2006-12-19T14:59:14Z</issued>
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<summary type="text/plain">
 
 
 
  F903i___withSH903i
  
  Originally uploaded by AZZIE828.
 


　あ、題字のformaは、意図的に綴りを変えました。ドコモの第三世代通信方式（IMT-2000）をもつケータイサービスの総称、FOMA。普段は料金体系とあたらしいほうのケータイ端末シリーズとして私たちドコモユーザが把握しているあのFOMAという言葉。語源を知っていますか？
ウィキペディア—FOMA
ドコモ公式サイト用語集
（（正解は、Freedom Of Mobile multimedia Accessの略。自由！が主語なのですね。（えぇと、ドコモハウスと関わりのある諸氏ならばきっと皆全員正解ですね☆ｆ(*^_^*)））
正しい意味はさておき、FOMAと同音のformaといえば、スコラ哲学において「形相」を意味し、質量materiaと合することで実体を形成するものだそうです。形相（ぎょうそう）ー少し難しいことばですが、現代における語の意味としては、情報・デザイン・設計（どれもとても意味が広い！）のような意味だと言っても差し支えない語です。
期せずしてか狙ってかは分かりませんが、これほどまでに「デザイン」が重視される（外見的にも、機能的にも）「情報」端末であるケータイ（「形態」も！）のサービス名称としては、出来すぎたほどのネーミングです。（一同、和筆者感動ー）
あ、そうでした、F903iのレポートでしたね！それでは参りましょう—。



F903i使用感

最大の特徴ーディスプレイのスウィングによる表示切り替え（横モーション）

冒頭でも屁理屈こねましたがｗ、とにかく一風変わった「かたち・デザイン」が大好きです。ただ、純粋に外見的な＝ファッショナブルな良さと、機能的な＝ユーザインタフェイスとしてのデザインの良さを天秤にかけた場合、「見た目」よりも「動かせる機械的おもしろさ」に重点をおいてしまう所に少年っぽさが残っているといわれる所以でしょう（自分で言うな）。
というわけで機能的には、首（ディスプレイ部）を左右に振るだけで任意の操作ができるこの機能、とても楽しんで使っています。目下の所デイリーユースの状態は、自分から見て右に傾けてメモ帳起動（とてもよく使います）、左に傾けてカメラ起動（こちらもよく使う）となっています（つまり変なところでAZZIEが左にディスプレイを傾けていたら盗撮の可能性があります！注意しましょうｗ）。また、研究で使うときには右と左で違ったオブジェクト認識ー隠号アプリを立ち上げたりして「ほら、見方を変えると世界から引き出せる情報が、こんなにもチガウでしょ！」なんてやってます。それはそれは楽しい。

CPU・操作速度
スウィング時には多少ウェイト（Windowsでいう砂時計、Macでいう色風車）が出てから立ち上がりますが（約1秒）、それ以外のメール・辞書・メモ帳・ブラウジングなどの操作は実に快適です。以前のケータイはF901iS（やっぱり赤）を使っていたのですが、903は3倍速いです！（あくまで体感です。言わせてください）

カメラについて
CMOS320万画素に文句は無いが、それ以上にカメラソフトの向上が著しいように感じる（あくまで901iS比だが）。まず、オートフォーカス・オート絞りはかなり優秀になった。特に照度に関して言えば画像の中心付近を計測して自動で常に合わせつづけようとしているようだ。通話ボタンでAFさえしっかりすれば、相当綺麗に撮れる。また、縦で480×640の画像を撮っていて横のフレーミングにしようとしてスウィングすれば、自動で640×480に切り替わる。これは、撮った後から画像を回転させるという面倒な作業を完全に葬ったといえる素晴らしいアイディアだと言いたい。
あと、実は撮れるパノラマ。１個前に撮った画像を半透明で画面に表示し、撮像画面と重ねてずらして合わせ撮る方式。これはこれで、（パノラマ生成する特殊ソフトを持っていれば別だが）あとからフォトショップ等で加工する手間はだいぶ省ける。

古ブラウザとフルブラウザ
あ、お金がかかるよ！フルブラウザ。でも横モーションでのインタフェイスはいいよ、フルブラウザ。

ちょい見せ機能
〜神は細部に宿る！通称ちょい見せは懐中時計のアナロジー〜
背面ディスプレイのないF903iにおいていかにして時計の機能（今やケータイには必須である）を違和感なく実装するか、自分が開発者なら相当悩むところだ。それがこのF903iではポケットから取り出す→敢えて開かずにスライドする→ちょこモーションでディスプレイ角に時間と日付（あと、メール等の着信）を表示するというやり方で、見事に懐中時計をちょい見する洒脱さを演出している。使っていて酔える機能の一つに仕上げてある。

実はスペシャルモードがちょっとキてるのかも･･･3台連続Fの私
あ、Fにはね、電池の残量の絵が変わったりメニュー画面のデザインが増えたりする「スペシャルモード」があるんだよ。秘密だけど。ある方法の操作をすることによってそれが出てくるんです！秘密だよ？でも、これって、知っててもーしかもおまけが大したこと無くてもおいしさを感じちゃう、戦略的にロイヤリティを獲得するには相当大したことある作戦だとおもいますよ。内緒だよ？ｗ

文字へのこだわり！リュウミン（森川龍文堂明朝体）フォントほか、DLにも対応
これは一押し。コンピュータを使っていてもフォントにこだわる人とフォントに無頓着な人にはある種のリテラシー格差を感じてしまう（笑）人も多いのではないかと思う今日この頃、このケータイの明朝体（全画面の文字がちゃんと変わる！）の美しさにはもう、ちょっと、他のケータイはがんばった方がいいよきっとワハハハｈryとなってしまうのです。内緒だけどｗ（←しつこい）

腹立ったこと＆ちょっと苗な部分。

microSDって、何それ！

フラッシュライト、無いじゃない！

プッシュトークボタンが押し易すぎる！！

結局スウィング表示が役不足の感・・・

対応ソフトがウィンドウズって！ナップスターって･･･分かってるけど（悲

あ、ソフトウェアをアップデートしましょう！F,D,SHユーザの皆様！画像が送れるようになるそうです！




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<![CDATA[<div style="float: right; margin-left: 10px; margin-bottom: 10px;">
 <a href="http://www.flickr.com/photos/azzie/320419040/" title="photo sharing"><img src="http://static.flickr.com/134/320419040_e5c8b205e4_m.jpg" alt="F903i&SH903i" style="border: solid 2px #000000;" /></a>
 <br />
 <span style="font-size: 0.9em; margin-top: 0px;">
  <a href="http://www.flickr.com/photos/azzie/320419040/">F903i___withSH903i</a>
  <br />
  Originally uploaded by <a href="http://www.flickr.com/people/azzie/">AZZIE828</a>.
 </span>
</div>

<p>　あ、題字のformaは、意図的に綴りを変えました。ドコモの第三世代通信方式（IMT-2000）をもつケータイサービスの総称、FOMA。普段は料金体系とあたらしいほうのケータイ端末シリーズとして私たちドコモユーザが把握しているあのFOMAという言葉。語源を知っていますか？<br />
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/FOMA">ウィキペディア—FOMA</a><br />
<a href="http://www.nttdocomo.co.jp/support/dictionary/alpha_num/index.html">ドコモ公式サイト用語集</a><br />
（（正解は、Freedom Of Mobile multimedia Accessの略。自由！が主語なのですね。（えぇと、ドコモハウスと関わりのある諸氏ならばきっと皆全員正解ですね☆ｆ(*^_^*)））<br />
正しい意味はさておき、FOMAと同音のformaといえば、スコラ哲学において「形相」を意味し、質量materiaと合することで実体を形成するものだそうです。形相（ぎょうそう）ー少し難しいことばですが、現代における語の意味としては、情報・デザイン・設計（どれもとても意味が広い！）のような意味だと言っても差し支えない語です。<br />
期せずしてか狙ってかは分かりませんが、これほどまでに「デザイン」が重視される（外見的にも、機能的にも）「情報」端末であるケータイ（「形態」も！）のサービス名称としては、出来すぎたほどのネーミングです。（一同、和筆者感動ー）<br />
あ、そうでした、F903iのレポートでしたね！それでは参りましょう—。</p>

<p><br><br />
<hr><br />
<h2>F903i使用感</h2></p>

<p><b>最大の特徴ーディスプレイのスウィングによる表示切り替え（横モーション）</b></p>

<p>冒頭でも屁理屈こねましたがｗ、とにかく一風変わった「かたち・デザイン」が大好きです。ただ、純粋に外見的な＝ファッショナブルな良さと、機能的な＝ユーザインタフェイスとしてのデザインの良さを天秤にかけた場合、「見た目」よりも「動かせる機械的おもしろさ」に重点をおいてしまう所に少年っぽさが残っているといわれる所以でしょう（自分で言うな）。<br />
というわけで機能的には、首（ディスプレイ部）を左右に振るだけで任意の操作ができるこの機能、とても楽しんで使っています。目下の所デイリーユースの状態は、自分から見て右に傾けてメモ帳起動（とてもよく使います）、左に傾けてカメラ起動（こちらもよく使う）となっています（つまり変なところでAZZIEが左にディスプレイを傾けていたら盗撮の可能性があります！注意しましょうｗ）。また、研究で使うときには右と左で違ったオブジェクト認識ー隠号アプリを立ち上げたりして「ほら、見方を変えると世界から引き出せる情報が、こんなにもチガウでしょ！」なんてやってます。それはそれは楽しい。</p>

<p><b>CPU・操作速度</b><br />
スウィング時には多少ウェイト（Windowsでいう砂時計、Macでいう色風車）が出てから立ち上がりますが（約1秒）、それ以外のメール・辞書・メモ帳・ブラウジングなどの操作は実に快適です。以前のケータイはF901iS（やっぱり赤）を使っていたのですが、903は3倍速いです！（あくまで体感です。言わせてください）</p>

<p><b>カメラについて</b><br />
CMOS320万画素に文句は無いが、それ以上にカメラソフトの向上が著しいように感じる（あくまで901iS比だが）。まず、オートフォーカス・オート絞りはかなり優秀になった。特に照度に関して言えば画像の中心付近を計測して自動で常に合わせつづけようとしているようだ。通話ボタンでAFさえしっかりすれば、相当綺麗に撮れる。また、縦で480×640の画像を撮っていて横のフレーミングにしようとしてスウィングすれば、自動で640×480に切り替わる。これは、撮った後から画像を回転させるという面倒な作業を完全に葬ったといえる素晴らしいアイディアだと言いたい。<br />
あと、実は撮れるパノラマ。１個前に撮った画像を半透明で画面に表示し、撮像画面と重ねてずらして合わせ撮る方式。これはこれで、（パノラマ生成する特殊ソフトを持っていれば別だが）あとからフォトショップ等で加工する手間はだいぶ省ける。</p>

<p><b>古ブラウザとフルブラウザ</b><br />
あ、お金がかかるよ！フルブラウザ。でも横モーションでのインタフェイスはいいよ、フルブラウザ。</p>

<p><b>ちょい見せ機能</b><br />
〜神は細部に宿る！通称ちょい見せは懐中時計のアナロジー〜<br />
背面ディスプレイのないF903iにおいていかにして時計の機能（今やケータイには必須である）を違和感なく実装するか、自分が開発者なら相当悩むところだ。それがこのF903iではポケットから取り出す→敢えて開かずにスライドする→ちょこモーションでディスプレイ角に時間と日付（あと、メール等の着信）を表示するというやり方で、見事に懐中時計をちょい見する洒脱さを演出している。使っていて酔える機能の一つに仕上げてある。</p>

<p><b>実はスペシャルモードがちょっとキてるのかも･･･3台連続Fの私</b><br />
あ、Fにはね、電池の残量の絵が変わったりメニュー画面のデザインが増えたりする「スペシャルモード」があるんだよ。秘密だけど。ある方法の操作をすることによってそれが出てくるんです！秘密だよ？でも、これって、知っててもーしかもおまけが大したこと無くてもおいしさを感じちゃう、戦略的にロイヤリティを獲得するには相当大したことある作戦だとおもいますよ。内緒だよ？ｗ</p>

<p><b>文字へのこだわり！リュウミン（森川龍文堂明朝体）フォントほか、DLにも対応</b><br />
これは一押し。コンピュータを使っていてもフォントにこだわる人とフォントに無頓着な人にはある種のリテラシー格差を感じてしまう（笑）人も多いのではないかと思う今日この頃、このケータイの明朝体（全画面の文字がちゃんと変わる！）の美しさにはもう、ちょっと、他のケータイはがんばった方がいいよきっとワハハハｈryとなってしまうのです。内緒だけどｗ（←しつこい）</p>

<h2>腹立ったこと＆ちょっと苗な部分。</h2>

<p><b>microSDって、何それ！</b></p>

<p><b>フラッシュライト、無いじゃない！</b></p>

<p><b>プッシュトークボタンが押し易すぎる！！</b></p>

<p><b>結局スウィング表示が役不足の感・・・</b></p>

<p><b>対応ソフトがウィンドウズって！ナップスターって･･･分かってるけど（悲</b></p>

<p><b>あ、ソフトウェアをアップデートしましょう！F,D,SHユーザの皆様！画像が送れるようになるそうです！</b></p>

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<title>musekininron-antiresponsibility『無責任論』---AZZIE</title>
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<modified>2006-09-26T20:37:56Z</modified>
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<summary type="text/plain">musekininron-antiresponsibility『無責任論』---AZZIE

私の考える無責任とは何か、以下のkeywordあたりを参照しながら表現してみたい。

keyword-社会的責任, 管理社会, 環境管理, 責任の所在, 自由, 因果, 縁
使いたかったけど使われなかった方面の語nullkey-意志, 志向性,  自閉症的世界観

Youtubeで現在トップレートの動画の中でクリントン前大統領も繰り返す&quot;responsibility&quot;という単語。彼は在任中にテロ対策を自分がどれだかやったかということを、「大統領として当然の責務(responsibility)を果たした」という言い方で言及していた。求められたことに対して適切なアクションを返すーこのresponseという語義から遠くない時の「責任」と、そうでない「責任」がある気がする。それは、自明とされる社会的責任ー＜生きながらにして背負うとされながらも、いっこうに誰からも何の説明のなされない、隠された権威・行動規範としての責任＞のことである。

一般に、「あなたには責任感がない」というときの責任感とやらは、後者に属するものの方が多いように感じる。なぜならばそれは、応えるべき要求自体をはっきりと本人が自覚していない状態で相手の期待を裏切った場合の相手の言であることが多いためである。このため２者（自分ー相手）を全体のレイヤーで鳥瞰できたときにはresponseの責任と社会的責任は統一して扱うことができる。だが、現実には我々は互いに１者ずつのプレイヤーであり、responseしないことを社会的責任感が無いようにいわれたり、逆も然りな状態であること、問題の混同が起こることによって、そこに黒い空気や赤い液体が流れたりする（断絶や争いが生じる）。もちろん、片方でも俯瞰的に物事を見ることができれば違うのかも知れないが、現実的には難しい。これを平等に評価し、判断しようという社会的機関がある。すなわち、法曹界である。

法の世界では、しばしば責任の所在は大きな問題となる。精神鑑定の結果、元来犯した罪よりも罪状が軽くなったという例も昨今しばしば報じられるが、これは責任能力ーつまり、責任が本人ではなくて病気（病気にかかる責任や、病気を引き起こした責任はなぜか問われない）にあるという問題のとらえ方がされるからだろう。これは、因果関係の明らかさにも依存する。

因果関係が明らかなとき、因（原因）となる部分を何かやってしまうと、果（結果）が起きたときに責任を取らされる。世界中いたるところにビデオカメラが設置されていて、どんなことでもお天道様が見ている状態になったら、全ての行動は因だらけであり、すなわち責任というものにがちがちに束縛されて、行動しにくいことこの上ない。だがこれは、現代がまさに直面している問題である。そして全ての人をどんどん罪深い存在に追いやっていく因果と縁、その根源にある概念が責任なのである。

責任は、いつ発生したか。古代に思いを馳せてみる。人間以外の生物に「責任」はあるか。私は無いという立場の人間だが、（「生物は存在するからには生きる責任がある」等の文学・哲学的表現の話ではなくて、概念自体が彼らの間に存在するか、の話である。）私たちが、彼らの行動の中で最も責任を果たしていると感じる本能的でない社会的行動の最たるものは、食料の取得運搬ではないだろうか。すなわち、雄鳥が雌鳥と雛のためにせっせとエサを取ってくる、アレである。

「男は稼げ、女は産め」などと言うと前近代的だとか封建的だとか言われそうだが、今の世の中も実際にこのような社会的「圧」は掛かり続けているように私は感じる。この感情が仮に責任の起源だとして、「全ての男がエサを取ってくるのが当然」の世界であれば、果たして責任という言葉は生まれただろうか？私には、その状態が考えられない。責任という言葉を使う機会がないのだ。

そう考えていくと、なんとも逆説的なことに、責任という概念は、無責任な存在があることによって結果的に求められ、作りだされたことが分かる。例を挙げれば、原始時代にも映画「男はつらいよ」の寅さんのような人間が居て、「あんたは本当に仕事（エサ捕獲）もせんで、無責任なダメ男だねぇ」と、どこぞのおかんだか他人だかがガツンとやるのである。これが責任という言葉の起源ということになる。

エサも取らずにさぼっている２割の働き蟻の話が最近CMになったりしたが、彼らもこの論法で言うと無責任だということになってしまう。だがもっと詳しい話をすれば、淘汰に対抗する社会システムとして働かないアリは必要があって存在しているので無責任ではないのであって、兎にも角にも人間ほど歴然と無責任な存在を編み出した生物は居ない。よって、二重の意味で責任、いや、無責任とは、人間発祥の概念なのである。

さて、責任よりも無責任が強いとか、その概念は人間様のオリジナルだとか、「無責任」の旗色が良くなってきたところで自称兼他称無責任の私が無責任を祭り上げる演説を打ってみようか。

「こうまでして（実感を込めて）悪とされ、種全体にとってのガンであるように扱われる無責任という存在が、人間社会の中で何故ここまで蔓延り、無くならないのか！人よ、分からなくなったときははじめに戻って考えよ！すなわち、ルーツを探れ。餌も取らずに放浪した人間がいったい何をしてきたのか！現行の社会の中で仕事と呼ばれるものを毎日を埋め尽くす行動とすることを拒否し、他人から見て全く意味がないと思えるようなことをしてきた人間が何をしてきたか！！餌を取らず砂に何かを書いていたものが絵をつくり、文字を作った！餌を取らずに石をたたき、歌を歌っていたものが音楽を作った！そして文明を作り、偉大な発明をして新しい時代をつくってきたのは、いつもその時点の世の中ではこうした無責任な人間だったのではないのか！」

後記・・・無責任であることをそこまで称揚しないまでも、責任ということばの重圧からはそろそろ解き放たれてもいいと思うよ。そのための「法」だという考え方もできる。自由のためにある法は、僕は好きかも知れない。（これはきっとロックだ（もちろん２重の意味で））</summary>
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<![CDATA[<p>musekininron-antiresponsibility『無責任論』---AZZIE</p>

<p>私の考える無責任とは何か、以下のkeywordあたりを参照しながら表現してみたい。</p>

<p>keyword-社会的責任, 管理社会, 環境管理, 責任の所在, 自由, 因果, 縁<br />
使いたかったけど使われなかった方面の語nullkey-意志, 志向性,  自閉症的世界観</p>

<p>Youtubeで現在トップレートの動画の中でクリントン前大統領も繰り返す"responsibility"という単語。彼は在任中にテロ対策を自分がどれだかやったかということを、「大統領として当然の責務(responsibility)を果たした」という言い方で言及していた。求められたことに対して適切なアクションを返すーこのresponseという語義から遠くない時の「責任」と、そうでない「責任」がある気がする。それは、自明とされる社会的責任ー＜生きながらにして背負うとされながらも、いっこうに誰からも何の説明のなされない、隠された権威・行動規範としての責任＞のことである。</p>

<p>一般に、「あなたには責任感がない」というときの責任感とやらは、後者に属するものの方が多いように感じる。なぜならばそれは、応えるべき要求自体をはっきりと本人が自覚していない状態で相手の期待を裏切った場合の相手の言であることが多いためである。このため２者（自分ー相手）を全体のレイヤーで鳥瞰できたときにはresponseの責任と社会的責任は統一して扱うことができる。だが、現実には我々は互いに１者ずつのプレイヤーであり、responseしないことを社会的責任感が無いようにいわれたり、逆も然りな状態であること、問題の混同が起こることによって、そこに黒い空気や赤い液体が流れたりする（断絶や争いが生じる）。もちろん、片方でも俯瞰的に物事を見ることができれば違うのかも知れないが、現実的には難しい。これを平等に評価し、判断しようという社会的機関がある。すなわち、法曹界である。</p>

<p>法の世界では、しばしば責任の所在は大きな問題となる。精神鑑定の結果、元来犯した罪よりも罪状が軽くなったという例も昨今しばしば報じられるが、これは責任能力ーつまり、責任が本人ではなくて病気（病気にかかる責任や、病気を引き起こした責任はなぜか問われない）にあるという問題のとらえ方がされるからだろう。これは、因果関係の明らかさにも依存する。</p>

<p>因果関係が明らかなとき、因（原因）となる部分を何かやってしまうと、果（結果）が起きたときに責任を取らされる。世界中いたるところにビデオカメラが設置されていて、どんなことでもお天道様が見ている状態になったら、全ての行動は因だらけであり、すなわち責任というものにがちがちに束縛されて、行動しにくいことこの上ない。だがこれは、現代がまさに直面している問題である。そして全ての人をどんどん罪深い存在に追いやっていく因果と縁、その根源にある概念が責任なのである。</p>

<p>責任は、いつ発生したか。古代に思いを馳せてみる。人間以外の生物に「責任」はあるか。私は無いという立場の人間だが、（「生物は存在するからには生きる責任がある」等の文学・哲学的表現の話ではなくて、概念自体が彼らの間に存在するか、の話である。）私たちが、彼らの行動の中で最も責任を果たしていると感じる本能的でない社会的行動の最たるものは、食料の取得運搬ではないだろうか。すなわち、雄鳥が雌鳥と雛のためにせっせとエサを取ってくる、アレである。</p>

<p>「男は稼げ、女は産め」などと言うと前近代的だとか封建的だとか言われそうだが、今の世の中も実際にこのような社会的「圧」は掛かり続けているように私は感じる。この感情が仮に責任の起源だとして、「全ての男がエサを取ってくるのが当然」の世界であれば、果たして責任という言葉は生まれただろうか？私には、その状態が考えられない。責任という言葉を使う機会がないのだ。</p>

<p>そう考えていくと、なんとも逆説的なことに、責任という概念は、無責任な存在があることによって結果的に求められ、作りだされたことが分かる。例を挙げれば、原始時代にも映画「男はつらいよ」の寅さんのような人間が居て、「あんたは本当に仕事（エサ捕獲）もせんで、無責任なダメ男だねぇ」と、どこぞのおかんだか他人だかがガツンとやるのである。これが責任という言葉の起源ということになる。</p>

<p>エサも取らずにさぼっている２割の働き蟻の話が最近CMになったりしたが、彼らもこの論法で言うと無責任だということになってしまう。だがもっと詳しい話をすれば、淘汰に対抗する社会システムとして働かないアリは必要があって存在しているので無責任ではないのであって、兎にも角にも人間ほど歴然と無責任な存在を編み出した生物は居ない。よって、二重の意味で責任、いや、無責任とは、人間発祥の概念なのである。</p>

<p>さて、責任よりも無責任が強いとか、その概念は人間様のオリジナルだとか、「無責任」の旗色が良くなってきたところで自称兼他称無責任の私が無責任を祭り上げる演説を打ってみようか。</p>

<p>「こうまでして（実感を込めて）悪とされ、種全体にとってのガンであるように扱われる無責任という存在が、人間社会の中で何故ここまで蔓延り、無くならないのか！人よ、分からなくなったときははじめに戻って考えよ！すなわち、ルーツを探れ。餌も取らずに放浪した人間がいったい何をしてきたのか！現行の社会の中で仕事と呼ばれるものを毎日を埋め尽くす行動とすることを拒否し、他人から見て全く意味がないと思えるようなことをしてきた人間が何をしてきたか！！餌を取らず砂に何かを書いていたものが絵をつくり、文字を作った！餌を取らずに石をたたき、歌を歌っていたものが音楽を作った！そして文明を作り、偉大な発明をして新しい時代をつくってきたのは、いつもその時点の世の中ではこうした無責任な人間だったのではないのか！」</p>

<p>後記・・・無責任であることをそこまで称揚しないまでも、責任ということばの重圧からはそろそろ解き放たれてもいいと思うよ。そのための「法」だという考え方もできる。自由のためにある法は、僕は好きかも知れない。（これはきっとロックだ（もちろん２重の意味で））</p>]]>

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<title>ただいまｰいってきます</title>
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<modified>2006-05-07T04:39:50Z</modified>
<issued>2006-05-07T02:19:59Z</issued>
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<created>2006-05-07T02:19:59Z</created>
<summary type="text/plain">なかなか良いターニングポイントだったと思う。

このGWは、「久しぶりに会いたい人」にたくさん会うことが出来た。
どの人も真剣に何かに向かって生きていて、誰一人として世界をこれから悪くしようだなんて思っていない。
いろいろなところに見てくれている人がいることは、僕にとって一番の励みになる。そう思った。

このたびで、なぜか公共的な場で出会う人が一人一人見えるようになった。
“多くの人たち”が「大衆ー人間の塊」に見え（慣れ/戻り）はじめる前に、やるべきことがある気がする。

P.S.就職活動は『やめました』。私の就職活動結果について知りたい人は以下を読んでください。
就職活動は『やめました』。もちろん数社は採用プロセスに乗って全部落ちましたがｗ、それとはあまり関係有りません。
活動とは、活きて動くことであり、私にとっては就職というシークエンスに乗らない方が活きて動けるからです。
「就職活動をしないこと」が「前向きに生きていないこと」であるならば、それは諫めるべきですが、わたしには直感的にも経験的にも、また、未来の自分の生活についての熟考を経た後でも「そうではない」ので、ご心配なさらぬよう。</summary>
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<![CDATA[<p>なかなか良いターニングポイントだったと思う。</p>

<p>このGWは、「久しぶりに会いたい人」にたくさん会うことが出来た。<br />
どの人も真剣に何かに向かって生きていて、誰一人として世界をこれから悪くしようだなんて思っていない。<br />
いろいろなところに見てくれている人がいることは、僕にとって一番の励みになる。そう思った。</p>

<p>このたびで、なぜか公共的な場で出会う人が一人一人見えるようになった。<br />
“多くの人たち”が「大衆ー人間の塊」に見え（慣れ/戻り）はじめる前に、やるべきことがある気がする。</p>

<p>P.S.就職活動は『やめました』。</p>]]>
<![CDATA[<p>私の就職活動結果について知りたい人は以下を読んでください。<br />
就職活動は『やめました』。もちろん数社は採用プロセスに乗って全部落ちましたがｗ、それとはあまり関係有りません。<br />
活動とは、活きて動くことであり、私にとっては就職というシークエンスに乗らない方が活きて動けるからです。<br />
「就職活動をしないこと」が「前向きに生きていないこと」であるならば、それは諫めるべきですが、わたしには直感的にも経験的にも、また、未来の自分の生活についての熟考を経た後でも「そうではない」ので、ご心配なさらぬよう。</p>]]>
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<title>“AZZIEの人生”という名のコンテンツ</title>
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<modified>2006-07-08T04:57:54Z</modified>
<issued>2006-02-01T18:44:15Z</issued>
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<summary type="text/plain">「この世」という名の記憶ディスクには、
“AZZIEの人生”という名のコンテンツがありました。

他にも様々な情報の詰まった雑多な媒体でしたが、
そのコンテンツはひときわ輝きを放ち、
そのコンテンツあるが故にハード自体に価値を認め、求めて、
「この世」を愛するものたちが後を絶たなかったという話です。

。。そういうコンテンツに、なろうね。・・・僕らの年、２００１年度入学の慶應義塾大学環境情報学部の小論文の入試問題は、コンテンツを考え、その内容を記述するとともに、そのコンテンツをバナー（のような媒体に）広告するというものでした。

実際の解答に僕は、今で言うGREEやmixiのようなSNSの原案を書きました。処分されていなければまだあるでしょうｗ

ですが今、もう一度その問題が出されたならば、僕は臆面もなくこのエントリーの内容を書くでしょう。
合格はしないでしょうが、それを知る心を病んだ多くの人にこの世への希望と、勇気を与えることが出来る気がします。

同時に、僕にできることは、そんなメッセージを与え続けることだけなのかもしれません。
そして、それを価値のないことだとする人がいたとしても、どんなコンテンツにも賛否両論があるように健全なことであり、そういった僕というコンテンツを忌み嫌い避ける人の正当性を常に認めなければなりません。（基本的人権の矮小化と放棄）

・・『あなたにとって価値のあるコンテンツとは、どんなものですか？』</summary>
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<email>azzie@mac.com</email>
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<![CDATA[<p>「この世」という名の記憶ディスクには、<br />
“AZZIEの人生”という名のコンテンツがありました。</p>

<p>他にも様々な情報の詰まった雑多な媒体でしたが、<br />
そのコンテンツはひときわ輝きを放ち、<br />
そのコンテンツあるが故にハード自体に価値を認め、求めて、<br />
「この世」を愛するものたちが後を絶たなかったという話です。</p>

<p>。。そういうコンテンツに、なろうね。</p>]]>
<![CDATA[<p>・・・僕らの年、２００１年度入学の慶應義塾大学環境情報学部の小論文の入試問題は、コンテンツを考え、その内容を記述するとともに、そのコンテンツをバナー（のような媒体に）広告するというものでした。</p>

<p>実際の解答に僕は、今で言うGREEやmixiのようなSNSの原案を書きました。処分されていなければまだあるでしょうｗ</p>

<p>ですが今、もう一度その問題が出されたならば、僕は臆面もなくこのエントリーの内容を書くでしょう。<br />
合格はしないでしょうが、それを知る心を病んだ多くの人にこの世への希望と、勇気を与えることが出来る気がします。</p>

<p>同時に、僕にできることは、そんなメッセージを与え続けることだけなのかもしれません。<br />
そして、それを価値のないことだとする人がいたとしても、どんなコンテンツにも賛否両論があるように健全なことであり、そういった僕というコンテンツを忌み嫌い避ける人の正当性を常に認めなければなりません。（基本的人権の矮小化と放棄）</p>

<p>・・『あなたにとって価値のあるコンテンツとは、どんなものですか？』</p>]]>
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<title>A HAPPY NEW YEAR 2006</title>
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<modified>2006-07-08T04:58:35Z</modified>
<issued>2006-01-04T14:34:17Z</issued>
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<summary type="text/plain">
(クリックするとすこし大きな画像を見られます)
少し遅れましたが、新年のご挨拶までに。</summary>
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<![CDATA[<p><a href="http://azzie.jp/new.jpg"><img alt="new2.jpg" src="http://azzie.jp/new2-thumb.jpg" width="432" height="288" /></a><br />
(クリックするとすこし大きな画像を見られます)<br />
少し遅れましたが、新年のご挨拶までに。</p>]]>

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<title>情報・記号・物・生命</title>
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<modified>2006-07-08T04:58:20Z</modified>
<issued>2005-12-27T16:46:07Z</issued>
<id>tag:,2005:/3.94</id>
<created>2005-12-27T16:46:07Z</created>
<summary type="text/plain">幾分か前の情報と差異の続きと発展。

RSS巡回コースに入っている橋本大也さんの情報考学から生命記号論—宇宙の意味と表象の回を引用。


「記号圏とは、大気圏、水圏、生物圏と同様に地球上のある領域を指す。記号圏は他のどの圏内にも入り込み、その隅々まで広がっており、音、匂い、身振り、色、形、電界、熱放射、全ての波動、化学信号、接触その他のありとあらゆる種類のコミュニケーションを統合して出来上がった一大圏である。一言で言えば、生命に関する記号全てのことである。」
(中略)
生物はそれぞれの環世界に生きている。必要な情報を選択的に感覚器官から受けとっている。これが志向性であり、インフォメーションの基盤である。そしてインフォメーションの量と質を決めるのは、記号論的自由の大きさにあるというのがユニークな意見である。ここでいう自由とは、個体や種が周囲と相互に伝達できる「意味の深さ」を指している。


引用文前半中の「記号圏」に対するおれの解釈は「刻印された状態になった情報」。これは、物と情報を結んでいて、つまりは情報が載って（乗って）いるメディア（媒体）すべてを指していると考えている。

引用文後半内では「生物」が「記号」を志向的に操作する旨について書かれているが、おれは「生命」自体もある特定の「情報」パターンを持った「物」じゃないか、と考える。遺伝子の例を挙げるまでもなく。

つまり、この文章のタイトルは環になっていて（あぁ、文章って不便）情報・記号・物・生命・情報・記号・物・・・というふうにつながってる。記号は情報を物に噛ませた複合物で、生命は物に情報を掛け合わせて生まれてきたもの。だけど、記号と生命はきっと違うんだよ、だから一緒くたにはしてないよ、という程度の情報を持った環だと思ってくらはい。

そうすっと、大きく分けて世界は、「物」と「情報」のふたつだけで成り立つと言えなくもない。時間軸をそれぞれに組み合わせたとき、どっちが強いのかみたいなことにちょっち興味あるね。

あぁ、そんで、「意識」について言えば、物の中のパターンアリの物（＝生命）の中の、さらにパターンアリの情報が意識かと思うのね（今度ベン図書いてアップします）。そんで、そのベン図によれば生命は物寄りで、記号は情報寄りなのよ、記述しやすい文脈がね。

んで。この理論で破綻を来す、というか、考えなければならないのが「解釈主体無き情報の意義」のテーマ。解釈主体がないと情報は存在しないというなら、それはネットワーク理論の方に行くね。リンクとノード。おれはどちらかといえば解釈主体無くても情報ある派かなぁ。その方が宇宙論にアプローチしやすくておもろいのよねｗ

モノの情報を一生懸命明らかにしてきたのが今までの科学とか知の歴史なんだろうね。
モノに情報を一生懸命埋め込んだりできたら今までの科学とか知に対して何と呼ばれるんだろうねｗ

おまけの仮説を一つ。
ハード（もの）としての人（生命）の最大の価値は愛というソフト（情報）を刻印（＝記述）できること。主体としても、メディアとしても、かな。</summary>
<author>
<name>AZZIE</name>
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<![CDATA[<p>幾分か前の<a href="http://azzie.jp/2005/10/post_5.html">情報と差異</a>の続きと発展。</p>

<p>RSS巡回コースに入っている橋本大也さんの情報考学から<a href="http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004058.html">生命記号論—宇宙の意味と表象</a>の回を引用。</p>

<blockquote>
「記号圏とは、大気圏、水圏、生物圏と同様に地球上のある領域を指す。記号圏は他のどの圏内にも入り込み、その隅々まで広がっており、音、匂い、身振り、色、形、電界、熱放射、全ての波動、化学信号、接触その他のありとあらゆる種類のコミュニケーションを統合して出来上がった一大圏である。一言で言えば、生命に関する記号全てのことである。」
<br>(中略)<br>
生物はそれぞれの環世界に生きている。必要な情報を選択的に感覚器官から受けとっている。これが志向性であり、インフォメーションの基盤である。そしてインフォメーションの量と質を決めるのは、記号論的自由の大きさにあるというのがユニークな意見である。ここでいう自由とは、個体や種が周囲と相互に伝達できる「意味の深さ」を指している。
</blockquote>

<p>引用文前半中の「記号圏」に対するおれの解釈は「刻印された状態になった情報」。これは、物と情報を結んでいて、つまりは情報が載って（乗って）いるメディア（媒体）すべてを指していると考えている。</p>

<p>引用文後半内では「生物」が「記号」を志向的に操作する旨について書かれているが、おれは「生命」自体もある特定の「情報」パターンを持った「物」じゃないか、と考える。遺伝子の例を挙げるまでもなく。</p>

<p>つまり、この文章のタイトルは環になっていて（あぁ、文章って不便）情報・記号・物・生命・情報・記号・物・・・というふうにつながってる。記号は情報を物に噛ませた複合物で、生命は物に情報を掛け合わせて生まれてきたもの。だけど、記号と生命はきっと違うんだよ、だから一緒くたにはしてないよ、という程度の情報を持った環だと思ってくらはい。</p>

<p>そうすっと、大きく分けて世界は、「物」と「情報」のふたつだけで成り立つと言えなくもない。時間軸をそれぞれに組み合わせたとき、どっちが強いのかみたいなことにちょっち興味あるね。</p>

<p>あぁ、そんで、「意識」について言えば、物の中のパターンアリの物（＝生命）の中の、さらにパターンアリの情報が意識かと思うのね（今度ベン図書いてアップします）。そんで、そのベン図によれば生命は物寄りで、記号は情報寄りなのよ、記述しやすい文脈がね。</p>

<p>んで。この理論で破綻を来す、というか、考えなければならないのが「解釈主体無き情報の意義」のテーマ。解釈主体がないと情報は存在しないというなら、それはネットワーク理論の方に行くね。リンクとノード。おれはどちらかといえば解釈主体無くても情報ある派かなぁ。その方が宇宙論にアプローチしやすくておもろいのよねｗ</p>

<p>モノの情報を一生懸命明らかにしてきたのが今までの科学とか知の歴史なんだろうね。<br />
モノに情報を一生懸命埋め込んだりできたら今までの科学とか知に対して何と呼ばれるんだろうねｗ</p>

<p>おまけの仮説を一つ。<br />
ハード（もの）としての人（生命）の最大の価値は愛というソフト（情報）を刻印（＝記述）できること。主体としても、メディアとしても、かな。</p>]]>

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<title>『東京奇譚集』（村上春樹）『シンクロニシティ』（F.D.ピート）『エンジェルエンジェルエンジェル』（梨木香歩）</title>
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<modified>2006-07-08T04:58:49Z</modified>
<issued>2005-12-27T12:49:03Z</issued>
<id>tag:,2005:/3.93</id>
<created>2005-12-27T12:49:03Z</created>
<summary type="text/plain">１.『東京奇譚集』（村上春樹）
２.『シンクロニシティ』（F.D.ピート）
３.『エンジェルエンジェルエンジェル』（梨木香歩）

ーーー本や学んだことを軸にまとめて、マインドマップを作ろうと思う。
とりあえず最近の読書と考えから。ーーー

もうこれしか世界にどこまでも未開なテーマはないんじゃないかとも思う。くらい最近こればっか（笑）。
いわゆる霊的な、あやしいモノ、目に見えぬとんでもない力の話である。
こういう系の話は、「非科学的」「ありえない」で一蹴できてしまうからこそ「奇跡的」という価値が生じる。
感動を食欲のごとく貪欲に求める現代人にもってこいのネタなのだろう。

信じる、信じないの問題ではない。それは副次的な効果の話だと思う。
ふつうこのような話を書くときに、自分の立場をどちらか明記する必要があるようなそんな強迫観念があるが、おれはどうだっていいと思っている。
ようは同じ現象の、捉え方ーそのときの心の状態の違いなのだ。

上の何文かを平易にすると
「たいせつなものはね、目には見えないんだよ」
「目に見えるモノの中でも大切なモノがあるだろうに。」
「ま、どういう目を持っているかの違いなのだよ。」
という会話に帰着する、まぁ、くだらない話なのだよ。

そんなわけで冒頭の３冊に共通するのは、すべて変なーありえなそうな出来事の話であるということだ。
目に見えない何らかの力が働いたとしか思えないような偶然の出来事と言ってもいいかもしれない。
それに、どんな価値があるのか、それは「情報」とどのような関係にあるのか、が最近の僕の嗜好(思考)テーマである。

ここに、このジャンルを敢えてこういった用語で括ろうと思う。
『心（神）的影響力・霊的、呪術的なもの・オカルト』

いや、でも、おもしろいんだよ。こういうのって。時間の無駄だと思うかい？東京奇譚集から.


老人は首を振り、煙草の灰を灰皿に落とした。「ご存じのように、すべての水は与えられた最短距離をとおって流れます。しかしある場合には、最短距離は水そのものによって作り出されます。人間の思考とは、そのような水の機能に似ております。私はいつもそういう印象を抱いてきました。（以下略）」
（中略）
「ときとして私たちは言葉は必要とはしません」と老人は言った。
「しかしその一方で、言葉は言うまでもなく常に私たちの介在を必要としております。私たちがいなくなれば、言葉は存在意味を持ちません。そうではありませんか？それは永遠に発せられることのない言葉になってしまいますし、発せられることのない言葉は、もはや言葉ではありません」
「そのとおりですね」と私は言った。
「それは、何度も繰り返し考えられる価値のある命題です」
「禅の公案のように」


http://ja.wikipedia.org/wiki/ニューエイジ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0805.html
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<![CDATA[<p>１.『東京奇譚集』（村上春樹）<br />
２.『シンクロニシティ』（F.D.ピート）<br />
３.『エンジェルエンジェルエンジェル』（梨木香歩）</p>

<p>ーーー本や学んだことを軸にまとめて、マインドマップを作ろうと思う。<br />
とりあえず最近の読書と考えから。ーーー</p>

<p>もうこれしか世界にどこまでも未開なテーマはないんじゃないかとも思う。くらい最近こればっか（笑）。<br />
いわゆる霊的な、あやしいモノ、目に見えぬとんでもない力の話である。<br />
こういう系の話は、「非科学的」「ありえない」で一蹴できてしまうからこそ「奇跡的」という価値が生じる。<br />
感動を食欲のごとく貪欲に求める現代人にもってこいのネタなのだろう。</p>

<p>信じる、信じないの問題ではない。それは副次的な効果の話だと思う。<br />
ふつうこのような話を書くときに、自分の立場をどちらか明記する必要があるようなそんな強迫観念があるが、おれはどうだっていいと思っている。<br />
ようは同じ現象の、捉え方ーそのときの心の状態の違いなのだ。</p>

<p>上の何文かを平易にすると<br />
「たいせつなものはね、目には見えないんだよ」<br />
「目に見えるモノの中でも大切なモノがあるだろうに。」<br />
「ま、どういう目を持っているかの違いなのだよ。」<br />
という会話に帰着する、まぁ、くだらない話なのだよ。</p>

<p>そんなわけで冒頭の３冊に共通するのは、すべて変なーありえなそうな出来事の話であるということだ。<br />
目に見えない何らかの力が働いたとしか思えないような偶然の出来事と言ってもいいかもしれない。<br />
それに、どんな価値があるのか、それは「情報」とどのような関係にあるのか、が最近の僕の嗜好(思考)テーマである。</p>

<p>ここに、このジャンルを敢えてこういった用語で括ろうと思う。<br />
『心（神）的影響力・霊的、呪術的なもの・オカルト』</p>

<p>いや、でも、おもしろいんだよ。こういうのって。時間の無駄だと思うかい？</p>]]>
<![CDATA[<p>東京奇譚集から.</p>

<blockquote>
老人は首を振り、煙草の灰を灰皿に落とした。「ご存じのように、すべての水は与えられた最短距離をとおって流れます。しかしある場合には、最短距離は水そのものによって作り出されます。人間の思考とは、そのような水の機能に似ております。私はいつもそういう印象を抱いてきました。（以下略）」
（中略）
「ときとして私たちは言葉は必要とはしません」と老人は言った。
「しかしその一方で、言葉は言うまでもなく常に私たちの介在を必要としております。私たちがいなくなれば、言葉は存在意味を持ちません。そうではありませんか？それは永遠に発せられることのない言葉になってしまいますし、発せられることのない言葉は、もはや言葉ではありません」
「そのとおりですね」と私は言った。
「それは、何度も繰り返し考えられる価値のある命題です」
「禅の公案のように」
</blockquote>

<p>http://ja.wikipedia.org/wiki/ニューエイジ<br />
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0805.html<br />
</p>]]>
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<title>八田　和庵　開店</title>
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<modified>2006-07-08T04:59:12Z</modified>
<issued>2005-12-02T04:25:01Z</issued>
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<summary type="text/plain">おめ でと うご ざい ます

 
 
 
  20051202130130.jpg
  
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  20051202130139.jpg
  
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  20051202130151.jpg
  
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<![CDATA[<div class="caption">おめ でと うご ざい ます</div>
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 <a href="http://www.flickr.com/photos/azzie/69252566/" title="photo sharing"><img src="http://static.flickr.com/34/69252566_714947d535_m.jpg" alt="" style="border: solid 2px #000000;" /></a>
 <br />
 <span style="font-size: 0.9em; margin-top: 0px;">
  <a href="http://www.flickr.com/photos/azzie/69252566/">20051202130130.jpg</a>
  <br />
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 </span>
</div>

<p><br clear="all" /></p>

<div style="float: right; margin-left: 10px; margin-bottom: 10px;">
 <a href="http://www.flickr.com/photos/azzie/69253105/" title="photo sharing"><img src="http://static.flickr.com/20/69253105_8e42d0b8dd_m.jpg" alt="" style="border: solid 2px #000000;" /></a>
 <br />
 <span style="font-size: 0.9em; margin-top: 0px;">
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</div>

<p><br clear="all" /></p>

<div style="float: right; margin-left: 10px; margin-bottom: 10px;">
 <a href="http://www.flickr.com/photos/azzie/69257082/" title="photo sharing"><img src="http://static.flickr.com/34/69257082_ef02629474_m.jpg" alt="" style="border: solid 2px #000000;" /></a>
 <br />
 <span style="font-size: 0.9em; margin-top: 0px;">
  <a href="http://www.flickr.com/photos/azzie/69257082/">20051202130151.jpg</a>
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</div>

<p><br clear="all" /><br />
</p>]]>

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<title>先の見えない、予測できない世界。</title>
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<modified>2006-07-08T04:59:35Z</modified>
<issued>2005-10-26T15:20:52Z</issued>
<id>tag:,2005:/3.85</id>
<created>2005-10-26T15:20:52Z</created>
<summary type="text/plain">めずらしく親父と肩を並べて飯を食って、この先世界はどうなっていくんだろうね、って話した。

１０年前は１０年後の予想をすると５年後に悉くその通りになったらしい。企業の経営方針会議に昔から呼ばれていて、親父は、結構すごいんだって自分で自慢していた。工学部出身の自分は、機械的に、世の中を変数が支配するシステムと見なしてシミュレートできたんだって。確かにレポートの予想が的中すれば、そのコミュニティ内では先見の明があって、予言者で、結構カリスマかもね。

だけど、今は１０年後の世界を誰もほとんど予想できない。
あまりにも不確定な要素が多いみたいだ。

先がわからないなんて、予測できないなんて、なんて楽しくてすばらしい世界なんだ。
世界中の動向ではなくて、自分の声の向かうところを信じるしかないんだもん。

”一番こころの余裕があるやつが、勝ちなんだよ。”</summary>
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<![CDATA[<p>めずらしく親父と肩を並べて飯を食って、この先世界はどうなっていくんだろうね、って話した。</p>

<p>１０年前は１０年後の予想をすると５年後に悉くその通りになったらしい。企業の経営方針会議に昔から呼ばれていて、親父は、結構すごいんだって自分で自慢していた。工学部出身の自分は、機械的に、世の中を変数が支配するシステムと見なしてシミュレートできたんだって。確かにレポートの予想が的中すれば、そのコミュニティ内では先見の明があって、予言者で、結構カリスマかもね。</p>

<p>だけど、今は１０年後の世界を誰もほとんど予想できない。<br />
あまりにも不確定な要素が多いみたいだ。</p>

<p>先がわからないなんて、予測できないなんて、なんて楽しくてすばらしい世界なんだ。<br />
世界中の動向ではなくて、自分の声の向かうところを信じるしかないんだもん。</p>

<p>”一番こころの余裕があるやつが、勝ちなんだよ。”</p>]]>

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<title>「職人的人生」への憧憬</title>
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<modified>2006-07-08T04:59:46Z</modified>
<issued>2005-10-21T17:16:37Z</issued>
<id>tag:,2005:/3.84</id>
<created>2005-10-21T17:16:37Z</created>
<summary type="text/plain">これから一ヶ月、僕は職人的な人生を送ります。
どこまでも単調に思える作業の、精緻さを極めていく過程。絶対楽しい。

大量の情報摂取と拡大再生産を促すようなツールの上でこんなことを言うのも何ですがｗ、じっくり自分の研究と作品のことだけ考えて生活する心の平安を何より優先したいと思います。

もう一度、あのスローで多様で独創的だった思考法を取り戻したいのです。最近久しく失ってますから。

ゆっくり歩け、たくさん水を飲め　ーーー村上春樹『アフターダーク』</summary>
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<![CDATA[<p>これから一ヶ月、僕は職人的な人生を送ります。<br />
どこまでも単調に思える作業の、精緻さを極めていく過程。絶対楽しい。</p>

<p>大量の情報摂取と拡大再生産を促すようなツールの上でこんなことを言うのも何ですがｗ、じっくり自分の研究と作品のことだけ考えて生活する心の平安を何より優先したいと思います。</p>

<p>もう一度、あのスローで多様で独創的だった思考法を取り戻したいのです。最近久しく失ってますから。</p>

<p>ゆっくり歩け、たくさん水を飲め　ーーー村上春樹『アフターダーク』</p>]]>

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<title>[今期の週間スケジュール]いまさらながらアップ。</title>
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<modified>2006-07-08T05:00:00Z</modified>
<issued>2005-10-19T06:35:28Z</issued>
<id>tag:,2005:/3.83</id>
<created>2005-10-19T06:35:28Z</created>
<summary type="text/plain">2005年秋学期
じげん＼ようびつきひみずきかね
1( 9:25-10:55) 
2(11:10-12:40)WEM
3(13:00-14:30)消費とライフスタイルTAι23
4(14:45-16:15)メディア構成論τ12
知識情報論Ω11
5(16:30-18:00)知覚ー運動スキル論Ω12
 オブジェクト指向モデリングτ12
6以降(18:10-)ktai.labミート?orPaNICミート
ktai.labミートktai.labミート?
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<name>AZZIE</name>
<url>AZZIE.JP</url>
<email>azzie@mac.com</email>
</author>
<dc:subject>DIARY</dc:subject>
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<![CDATA[<table border="2"><caption>2005年秋学期</caption>
<tr><td>じげん＼ようび</td><th>つき</th><th>ひ</th><th>みず</th><th>き</th><th>かね</th></tr>
<tr><th>1( 9:25-10:55)</th><td></td><td></td> <td></td><td></td><td></td></tr>
<tr><th>2(11:10-12:40)</th><td></td><td></td><td></td><td>WEM</td><td></td></tr>
<tr><th>3(13:00-14:30)</th><td></td><td></td><td></td><td>消費とライフスタイルTAι23</td><td></td></tr>
<tr><th>4(14:45-16:15)</th><td>メディア構成論τ12</td>
<td>知識情報論Ω11</td><td></td><td></td><td></td></tr>
<tr><th>5(16:30-18:00)</th><td>知覚ー運動スキル論Ω12</td>
 <td>オブジェクト指向モデリングτ12</td><td></td><td></td><td></td></tr>
<tr><th>6以降(18:10-)</th><td>ktai.labミート?orPaNICミート</td>
<td>ktai.labミート</td><td></td><td>ktai.labミート?</td><td></td></tr>
</table>]]>

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